| 「楽」は織田信長によって始められたといわれる楽市・楽座の楽である.信長の制札には「当市場越居之者分国往還不可有煩.借銭借米地子諸役令免許訖.不可押買狼藉喧嘩口論事.」とあって,楽市がやはり一種の無縁の領域であること,またそこに店を出して商いをしている人びとが,年貢や公事(課役)などを免ぜられた公界者として扱われていることを示している.
エリック・レイモンドの「伽藍とバザール」に描かれた「バザール型ソフト開発」は,日本中世のメタファを用いれば「楽市・楽座型」と呼びかえられるかも知れない. こうして中世史の魅力にとりつかれたわたしは,次に,網野・阿部両氏の対談「中世の再発見」(平凡社ライブラリ),そしてこの2人に石井進・樺山紘一の2人を加えたワークショップ討論の記録「中世の再発見:上下」(中公新書)を読み,ますますメタフォリカルな興味をそそられた.
キリスト教社会における「公け」の概念の起源もおもしろい.古来,贈与(宴会などへの招待も含む)は,互酬の原理にもとづいて行われてきた.何か贈り物をもらったらお返しをする,宴会に招かれたら返礼の宴会を開く,といった慣習である.しかし,イエスはいわれた:「もしあなたが宴会を催すなら,お返しの宴会を開く能力のない貧乏人や乞食を招きなさい.そうすれば,あなたが死んだ後,神様が天国で盛大な宴会に招待してくれるでしょう」(聖書・ルカ伝).キリスト教国において,中世以降,富豪や貴族たちの寄付によってたくさんの寺院が建立されたのは,そうしたパブリック・ドメインへの貢献という概念が普及したからだそうである. |
贈与経済と貨幣経済との比較分析も,オープンソースやフリーソフトウェアとの関連で考えると興味深いものがある.わたしたちがいま生きている貨幣経済社会の価値観では,たくさん持っている者がエライ」と考えられている.たとえば,ビル・ゲイツ氏が英雄視されるのはそのためである.しかし,古代から中世までの時代に支配的であった贈与経済の価値観では,「たくさん人にあたえられる者がエライ」のである.その意味からすると,リチャード・ストールマンたちは,時計の針を逆に回そうとしているのかも知れない.
ところで,ストールマンに代表される現代のスーパー・プログラマたちのイメージは,日本の中世史でいうと,いわゆる「異形異類」の人びと,「婆沙羅」とか「かぶき者」といった呼称があてはまるように感じられる.並みの人間にはない力を持った異能者である.ヨーロッパ中世でそれに似たイメージを探すとすれば,ドイツ・ハ―メルンの街を騒がせたあの「笛吹き男」であろう. 阿部謹也さんの名著「ハ―メルンの笛吹き男」(ちくま文庫)および「ヨーロッパ中世の宇宙観」(講談社学術文庫)の2冊は,そうした異能者たちが,はじめは人びとから畏敬され,しかし,やがて手ひどく差別されるようになった謎を解き明かしていて,なまじのミステリ小説よりもおもしろい. 阿部さんの説くところによれば,ヨーロッパ中世の人びとは,この宇宙が二重構造になっていると信じていたらしい.すなわち,日常生活の小宇宙とその周辺をとりまく非日常的な大宇宙とである.悲劇「マクべス」の有名なラストシーン,「森が城に攻め寄せてくる」というあのプロットは,シェークスピアの独創ではなく,当時の一般大衆の日常感覚であった.人びとは,夜な夜な,周囲の森が自分の家の戸口まで忍び寄ってきていると信じていたのだそうだ. 余談だが,この夏,中国・貴州省でのISFST2000会議のさいに入手した「苗族古歌」(貴州民族出版社)に収録されている口承詩によれば,苗族の人びともやはりこの宇宙は二重構造だと考えていたらしい.そもそ |
|