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| 奇妙なタイトルで恐縮だが,ソフトウェア開発とは,それが対象としている世界のモデルを構築すること,わたしの好きな哲学者ネルソン・グッドマンのことばを借りれば,世界の一つのバージョンを作り出すこと(「世界制作の方法」みすず書房)であり,そのための道具としての言語,とくにさまざまな比喩や寓意が重要な役割を果たすと考えられる.その意味で,一見ソフトウェアとはなんの関係もないかのように思われる歴史学のメタファが,わたしには非常に興味深く感じられるのである.
しばらく前,SRA(四谷)に邱躍くんという中国人プログラマが働いていて,何人かの友人たちと一緒に会議で北京へ行ったさい,かれのお兄さんにいろいろお世話になった.それが,北京語言文化大学日本語科の邱鳴先生で,「研究のご専門は?」と訊くと,「太平記です」という返事.帰国した後,お礼にと思って関連する本を探したら,兵藤克巳さんの「太平記<よみ>の可能性」(講談社・選書メチエ)という本がちょうど出たばかりだった.向こうへ送る前に目を通したら,これがおもしろい.「源平政権交代説」とそれに対するアンチテーゼとしての楠木正成伝説という仮説を読んで,目から鱗が一枚落ちる感じがした.目から鱗といえば,その後,邱鳴先生から贈られた著書「太平記における漢文学の影響」もそうだった.太平記の中のひとつのクライマックス・シーンである大塔宮護良親王暗殺の物語が,中国神話「眉間尺」の引き写しだとは知らなかった.講談や落語で有名な大岡政談のエピソードがほとんど明代の白話小説の盗作であることは知っていたが,まさか太平記までとは! その驚きがきっかけで,それから,日本中世史に関するおもしろそうな本を探しはじめて網野善彦さんの一連の著作にめぐりあった.最初に読んだのは,日本の歴代天皇の中でもっともユニークな後醍醐天皇と失敗に |
終わったその革命:建武の中興を扱った「異形の王権」,次は日本の歴史学界に大きな論争を呼び起こした問題の書「無縁・公界・楽」(いずれも平凡社ライブラリ)であった.寡聞にして知らなかったのだが,歴史フリークの人びとのあいだでは,何年か前から,網野さんやヨーロッパ歴史学の阿部勤也さんを中心に,中世史ブームともいうべき現象が起こっていたらしい.大きな書店には,この2人の学者の著作コーナーが設けられていたりする.
網野歴史学を読んで,最初に受けたパラダイム・ショックは,幼いころから頭にたたきこまれていた「日本は水稲耕作をもっぱらとする単一文化・単一民族の農耕国家だ」というテーゼが,実は,古代近江王朝の手で(日本書紀という偽りの歴史書を用いて)創作され,江戸幕府によって広められ,さらに近代明冶政府の手で増補された大きな嘘だという「事実」を教えられたことであった.「東と西が語る日本の歴史」(講談社学術文庫)や「日本社会の歴史:上中下」(岩波新書)で展開されている「東西二大王朝説」はきわめて強い説得力を持っていると感じた.最近講談社から歴史シリーズの第00巻として出た「『日本』とは何か」は,網野さんのこれまでの考えを整理してまとめられた力作である.特に巻頭に掲げられた上下逆さの東アジア地図は感動的.日本海(正しい呼び名は「青海」)は,ひとつの大きな内海であり,古代から近世まで,きわめてバンド幅の広いコミュニケーション・チャネルとして,この地域の文化をミックスさせる働きをしていたということが,具体的に実感される. 「日本中世の民衆像」(岩波新書)や「古文書返却の旅」(中公新書)で展開されている中世日本社会のイメージは,網野さんの考えをを別の角度から裏付けている.一番印象的だったのは,能登の「時国」家の調査にまつわるエピソードであった.過去の記録に, |
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