五月でもよい夜
五月
あるいはそのほかのいつでもよい夜の部屋で
ぶらさがった電灯はかすかにゆれていたりしない
めくらの鳥かごは小鳥の番をしない
きげんの悪い猫はなかなかねむらない
母親は
ひどくちいさくなり
身がるに椅子のうえへとびのったりする
たくさんの姉や妹たちは
雲のかたちをしたお菓子をたべながら
薄闇ののほそながい廊下を
むこうへ
魚のようなものが屋根のうえをただよっていく
窓からのぞいてもそれはみえない
窓のむこうはくらいのだろう
窓からのぞいた顔をわたしはみない
たとえ
どのようにみにくい少女の顔であろうと
ふるえている植物はふるえている植物
扉は扉
部屋は部屋
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Memo: どうしてか, 五月という季節は好きになれない. 樹々の緑が神経に触る
からであろう. それは, だれのせいでもなく, わたしの精神がおかしい
せいなのだが, わかっていてもどうなるわけでもない. そうした苛立ち
詩のかたちにまとめれば, もしかしていくらか気が晴れるかもしれない
ということで書いてみたもの.
冒頭の三連は, 一昔前の東京・下町を意識した「夢の中での日常」のメ
ランコリックな叙景 (島尾敏雄さんを気取ってみた). 続く二連は, Paul
Klee の静物画のイメージをコトバにおきかえてみたもの. 最後の三行は,
さらに, 中国の禅僧・青原惟信和尚の有名な独白との二重写しになってい
る.
作者側にはそうした内心の情緒的混乱があって, だから, この詩はまだ
未定稿なのだが, さて, 読者の目にはどう映るのだろうか?
KISHIDA Kouichi,
k2@sra.co.jp