Interview with Kouichi KISHIDA by Steve Wright
通産省の主導のもとに展開されているΣ計画には賛否両論の声がある。ここでは、このプロジェクト、ひいては日本のソフトウエア産業がかかえる問題点について岸田孝一氏が語っている。聞き手であるSteve Wrightの紹介文(末尾に掲載)にもあるように、Σ計画の立案に重要な役割をはたした岸田氏は、最近その方向性に対するもっとも辛辣な批判者となった。その"軌道変更"の理由はどこにあるのか。岸田氏自身の言葉に耳を傾けてみよう。
REVIEW:岸田さんは、日本で最初にUNIXの商業的利用(つまり研究開発以外の実際のソフトウェア・ビジネスでの利用)を図った人物として有名ですが、UNIXに出会ったそもそものきっかけは何だったのでしょうか。このシステムのどこに意かれたのですか。
KISHIDA:そうですね。私の会社はソフトハウス向けのツールの開発を専門にやっています。それで国際的なソフトウェアの技術の動向には、いつも強い関心を払っていました。1970年代の後半、いろいろな会議に出席するために、何回かアメリカに来ました。そして、ソフトウェア工学の研究をしている多くの友人たちを訪問したのですが、彼らはみんなUNIX(当時のことですからVersion7)を使っていました。それに、参加した会議やワークショップその他の会合では、たいていUNIXで作られたツールが話題の中心でした。友人たちに「なぜみんなUNIXを使っているのか?」とたずねると、「他の環境とくらべて断然便利だからさ」という答が返ってきました。そんなわけで、私もだんだんUNIXに興味をおぼえ、自分でも使ってみたいと思うようになったのです。
REVIEW:あなたの友人がUNIXを、"便利"と表現したのは、柔軟だという意味ですか。
KISHIDA:そうです。そしてまた、情報やツールを交換できる仲間がたくさんいるという意味もあったと思います。実際、今日のソフトウェア工学における最重要課題は技術移転の促進であり、私は、UNIXがそのためのきわめて強力な手段であると考えています。
REVIEW:あなたのようなソフトウェアの専門技術者は、アメリカでは、たいていバークレイ版の熱心な支持者なのですが、あなたにとってもやはり、"UNIX"という場合にはBSDを指しているのでしょうね。
KISHIDA:はい。
REVIEW:どうしてSystem Vではいけないのでしょうか。System Vはしだいに普及しつつありますが、まだ技術やツールの交換には向いていないというわけですか。 KISHIDA:ええ。エンド・ユーザーのなかには、オフィス・オートメーションやデータ処理といったことのためにSystem Vのマシンを待っている人もいますが、現状ではソフトの開発をやっている人は、日本でもアメリカでも(AT&Tの内部ですら)すべてといっていいくらいBSDを使っています。
REVIEW:それはBSDが機能的にすぐれているためでしょうか。それとも単に他のツール開発者との互換性を保ちたいからなのですか。
KISHIDA:おそらく両方でしょう。ともかく、いまのところBSDはわれわれのニーズにぴったり合っています。もちろん、お客さんから、System Vのソフトウェアを作ってほしいという注文があれば、われわれはよろこんでそれをサポートします。しかし自社内の環境は、まだ、当分のあいだBSDを土台として組み立てられていくことになるでしょう。その理由のひとつは、目本語処理の支援です。BSDから派生したアスキーの日本語UNIXはたいへん便利にできており、いまのところまだ、System Vの日本語処理能力は、とてもそれにはおよぴません。
REVIEW:それでも、日本のソフトウェア産業の進展に供するために始められた政府支援のΣ計画では、System Vを採用することが決まっているようです。一方で、おっしゃるように日本のソフトウェア開発者のほとんどはBSDを使っている。これはどういうことなのでしょうか。外からは、まるで日本のソフトウェア産業が2つに分裂しているかのように見える。
KISHIDA:それを説明するには、Σ計画の背景を少しお話しする必要があるでしょう。
3年前、通産省の企画官と、ソフトウェア産業の将来計画について話し合う機会がありました。ご承知のように、通産省は、いわゆる、"ナショナル・プロジェクト"に資金を提供し、業界の進むべき方向を指導してきています。ハードウェアの開発、データ通信、それにソフトウェア工学など、いろいろな分野でのプロジェクトが過去におこなわれました。かつて、私白身も、1981年から1985年までSMEF(ソフトウェアの保守のためのUNIXベースの支援環境構築)と呼ばれるソフトウェア業界向け協回プロジェクトの立案者兼マネージャーとして働きました。そこで、通産省の企画官は"次期ナショナル・プロジェクト"のテーマについて、なにかよいアイデアはないか、と訊きにきたのです。私は、ソフトウェアの開発者・研究者が自由に情報やツールを交換できるような、全国的な通信ネットワークの構築を提案しました。
そのためには、なんらかの標準的なプロトコルを用いる必要がある。UNIXからはじめるのが一番だろう、そう私は話しました。この会話がきっかけになって、UNIXをベースにした標準的なソフトウェア環境や管理環境を提供するための、全国的な公共ネットワークを作るという最初のΣプランができあがったわけです。
私のプランは、これまでのナショナル・プロジェクトと比較すると、かなり型破りなものでした。なぜなら、ソフトウェア技術における大きな動きはすべて草の根レベルから出発する、というのが私の信念だったからです。UNIXにしても、AT&Tの社長命令によって開発されたものではありません。Ken Thompsonというひとりの研究者が作りだし、研究者たちのあいだの自然発生的な支援を受けて、今日のような姿に発展してきたのです。それは草の根の力がもっともうまく発揮された1例だと思います。私のそもそもの発想は、同じような、"燎原の火"を日本でも起こす、そのための手段を提供できたらというものでした。
日本のように中央集権化が進んでいる社会では、全国的なネットワークがとくに重要だと思います。ソフトウェア産業やソフトウェアの研究は、ほとんど東京を中心におこなわれています。束京にいればいろいろな情報に簡単にアクセスできるが、地方て、はきわめて難しい。こういった状況を足正するために、ナショナル・プロジェクトとして豊富な資金を待つΣが、その一部を地方の大学にまわし、そこにネットワークのノードをつくり、UNIXをベースにした情報交換のセンターを設ける。そして、これら地方のセンターは、新しいΣのソフトウェア環境のためのショールームとして機能する。当初の計画に盛り込まれた私のアイデアは、そうしたものでした。
REVIEW:過去形を使ってお話しされていますが、今日のΣは最初のプランから逸脱してしまったということでしょうか。
KISHIDA:逸脱? ええ、そういってよいでしょう。一昨年の冬に計画が認可になり、通産省を中心に具体化のためのプランニングが始まったのですが(実際にプロジェクトを管理するのは通産省管轄の情報処理振興革業協会=IPA)、それが進展するにつれて、長年にわたって築き上げられてきた通席省とメインフレーム・コンピュータ産業との強力な関係が、プロジェクトの表面に洋浮かび上がってきたのです。ほとんどすべてのメーカーがUNIXに強い関心を待ち、プロジェクトに参画して主導権を握ろうと乗り出してきました。
REVIEW:それは、とても草の根の運動とは呼べない代物ですね。
KISHIDA:そうです。それにメインフレーマーが入ってきたマイナスの効果のひとつとして、彼ら全員がSystem Vの採用に固執したという事実があります。
REVIEW:なぜでしょうか。
KISHIDA:私にはわかりません。彼らに直接聞いてくだざい。AT&Tのような大企業がサポートしているから信頼できると思ったのか、あるいは、彼らがすでに開発を進めていたSystem Vベースのワークステーションに合わせて、Σの標準を設定しようと考えたのかもしれません。たしかに、彼らはこぞって自分たちのワークステーションをΣの名のもとに売り込みたいと願っているようです。ネットワークに関するかぎり、現在のところ通席省は大規模なTSSセンターを東京に"だけ"作るつもりのようです。通産省とメインフレーム・メーカーが最初の私のオリジナル・プランを墜落させたという理由はそこにあります。実際そのオペレーション・センターに4つのメインフレーム・メーカーのそれぞれの大型マシンを購入することがいつのまにか決まっています。すべて舞台裏の話し合いでことが進められているようです。最初のアイデアの立案に関係したソフト業界の技術者たちは、こうした事実を手ひどい裏切りだと感じています。
REVIEW:つまり、今のΣは、仮面をつけたハードウェア・メーカーの販売機構でしかないとおっしゃるのですか。
KISHIDA:そうです。さらにそれは同じ企業のソフトウェア・ツールの販売の手段にもなります。メインフレーマーは多様な開発支援ツールをもっていますが、現状では、それらはまだUNIX上では稼動していません。ΣはこうしたツールをUNIXの世界に移植する機会と資金を彼らに提供します。それによって、メインフレーマーは、自分たちが販売できるソフトウェアのアプリケーションをさらに作りやすくなります。
こんなふうになってくると、そもそもΣが技術移転を狙いとして構想されたプロジェクトだったということが、なかなか思い出せなくなるほどです。もっとも、通産官僚の頭のなかでは、それほど矛盾はないのかもしれません。何回か議論していてわかったのですが、彼らは、メインフレーマーのソフト部門こそが日本の情報産業の中核であり、そこに蓄積された"すぐれた技術"をまだ"脆弱な"ソフトウェア・ハウスに移転することが必要だと、かたくなに信じているのですから。
計画が変節してきたのは1年ほど前からのことです。メインフレーマーやソフトハウスなど、Σに参画する企業から開発本部に出向した技術者・管理者たちが、プロジェクトのポリシーをめぐって、激烈な議論を闘わせました。ソフトウェア業界を代表した技術著たちはみんな、Σは本質的に技術指向のプロジェクトであり、開発成果の商業的な成功もざることながら、それを作りあげていくプロセスを通じて業界内部での技術移転を加速させることのほうがもっと重要だという点で、意見が一致していました。しかし、メーカー出身の人々は、プロジェクトから研究開発の色彩を極力排除し、ソフトウェア・ハウスがそれを利用すればただちに開発生産性の大幅な向上が見込めるようなシステム(ツール、ワークステーション、またはそれらを統合した環境)を作り、そうした成果物を目玉商品として販売・流通させるためのネットワークを構築すべきだと主張したのです。要するに彼らは、Σが技術ネットワークというより、むしろ商業的な情報交換ネットワークになることを望んでいたわけです。通産省も、Σは事業プロジェクトであり、商業的に成功しうる製品の開発だけを意図して具体的計画を考えるべきだという立場から、メーカー側の意見を支持しました。
つまり、横極的に研究開発の要素を取り入れてこそ、Σは初期の目的を達成できるだろうというのがわれわれの考えだったのですが、一方メーカーや通産省のほうでは、ソフト業界を現在の技術のなかに封じ込め、そのエネルギー商品またはアプリケーションの開発に振り向けたいと思っていたのです。
最新の技術開発の成果をリアルタイムで取り入れることなしに、どうして魅力的な商品が作れるのでしょうか。また、システム自体の成長が図れるのでしょうか。残念ながら、しかし、そのようなわれわれの疑問は、通産省には無視されてしまいました。
REVIEW:おっしゃるようにメインフレーム・メーカーがΣの進行に多大の影響力を持っているとして、それは例のIBMスパイ事件によって起きた日米間の摩擦が関係しているのでしょうか。
KISHIDA:さあ、それは私にはよくわかりません。しかし一部には、メイン・フレーマーのUNIXへの接近は、それによってIBMの領域から身を引けるからだろうという噂もあります。
REVIEW:日本のメインフレーム・メーカーにとってUNIXは、ほかにどういった意味を持つと思いますか。ソフトウェアの開発者や研究者は、UNIXを技術移転のための媒体だと見ているというお話でしたが、メインフレーマーは、どう考えているのでしょうか。
KISHIDA:アメリカでも最近IBMがUNIXビジネスに手を出していますね。日本のメーカーも、それと同じように、市場の要求に対応しようとしているだけではないでしょうか。
REVIEW:先ほどおっしゃったようなハードウェア・メーカーとソフトウェア業界とのあいだの緊張についてはどうでしょう。どんな背景があるとお考えですか。私自身、個人的な興味を持っているので、ぜひご意見をお間きしたいのですが、日本のソフトウェア開発技術は、ハードウェアの場合ほどには進んでいないという話をよく耳にします。日本ではソフトウェアがまだ、ハードウェアの付属品として扱われているというというアメリカ人が多いのですが、そうした意見に対する反論がありますか。
KISHIDA:日米のソフトウェア技術の大きな違いは、米国には国防省(DoD)があり、日本にはないという社会組織の違いに起因しているのではないでしょうか。DoDは世界最大のコンピュータ・ユーザーであると同時に、世界最大のソフトウェアの顧客であり、研究開発に対する最大のスポンサーでもあります。われわれの場合は、そうしたスポンサーがいないので、興味あるソフトウェア研究プロジェクトが米国ほど多くはありません。米国では、DoD周辺のプロジェクトに国内の研究開発パワーの大半が吸い寄せられていますが、日本の場合、そうした現象は起こっていません。ホンモノの戦争と同様、経済戦争に勝利するためにも、今日ではコンピュータを効率的に利用しなけれぱなりませんが、民間企業がそのための人材を確保しようと思ったときには、日本のほうがはるかに容易だといえるでしょう。結果的に見て、日本の民間企業におけるアプリケーション・ソフトウェアの開発技術ほ、アメリカやヨーロッパに比較して、かなりすぐれていると思います。自動車その他の日本の工業製品がアメリカで高く評価される理由は、そこにあると思います。
REVIEW:たしかにそうかもしれませんが、それでも私には、日本ではソフトウェアが低く見られているように思えます。Σに関するあなたやほかの人たちの意見を聞くと、日本のハードウェア産業はソフトウェア産業を軽んじていると思わざるを得ません。ソフトがハードの売り上げに貢献することを考えれば、まったくもって不可思議なことですが、このことには、なにか特別の理由があるのでしょうか。
KISHIDA:日本のコンピュータ産業がIBMよりもかなり遅れてこの分野に算入してきたことが大きく影響していると思います。20年前、日本のコンピュータ市場は、アメリカのメーカーに独占ざれていました。これに対抗するには、日本のノーカーは、顧客と特別の取引きをする必要がありました。「私どものコンピュータをお買い上げいただければ、ソフトは無科です。1年に100人のプログラマーがお伺いしますから」という具合いです。
ソフトウェア会社が登場したのは15年前のことです。私の会社もその最初のひとつでしたが、ユーザーと直接仕事の契約をしたいと思っても、難しいことがよくありました。多くのユーザーは、無料のソフトウェアやサポートに慣らされていたからです。
そのためソフトハウスの最初の仕事は、たいていコンピュータ・メーカーからの委託によるもめでした。こうした歴史的経緯のせいで、ソフトウェア会社の多くが、残念ながらまだ、ハードウェア・メーカーの下請けとしての機能をひきずっています。各メインフレーマーは、現在では独自のソフトウェア・サービス会社をもっていますが、周辺にそれ以外のソフトハウスも確保しています。実際、地方にソフトウェア・サポート工場を持つことは、ほとんどすべてのメインフレーマーの基本戦略のひとつになっています。
REVIEW:それはソフトウェアが評価を与えられたということですか。
KISHIDA:かならずしもそうとはかぎりません。メインフレーマーが、ソフトウェア・ビジネスをコントロールしたいと考えているだけにすぎません。われわれのような独立系ソフトウェア・ハウスは、もちろんそれを好ましくないと思っています。日本でいろんな人から情報を収集していた米国の実業家が、最近、私のところへΣについて間きたいとやってきました。質問に応える前に、私は逆に彼がΣをどう考えているかと尋ねました。彼が言うには、知りえたかぎりの情報からすれば、Σは、メインフレーマーのソフトウェア製造能力向上を助けるプロジェクトにしか思えないということでした。
REVIEW:私の目から見ると、あなたは、固定観念の壁にぶつかっているかのように見受けられます。ソフトウェアが、ハードウェアのおまけである(たとえ現実には有科であっても、人々の心のなかでは、いまだに無科である)かぎりにおいては、ソフトウェア開発技術の重要性は軽視ざれ続ける気がします。この固定観念をひっくり返すにほどのような戦略が必要だとお考えですか。
KISHIDA:たいへん難しい質間ですね。人間の頭のなかの思考パターンを変えるには、長い時間が必要でしょう。しかしそうした変化はかならず起こります。Σの例からも明らかにわかるように、現在、ソフトウェアの開発のポリシーとしては、革の根のボトムアップ型より、むしろトップダウン的な考え方のほうが優勢ですが、これはプログラマーの文化とは真っ向から対立しています。通産省もメインフレーマーも1年以内にこのことに気づき、その結果、彼らはΣの方向性を全面的に変えなければならなくなるだろう、私はそう信じています。
■Steve Wright
ソフトウェア設計およびマーケティングのコンサルタント。Amdahlと富士通のデータ管理ソフトやユーザー/マシン・インターフェイスのアーキテクチャ作成を援助するために、日本でも携わっている。米国では、サニーベール(カリフォルニア)のオフイスで、0EM/VAR市場向けのソフトウエアの仕事をすることが多い。最近では、UTSやUNIX環境におけるバックアップ、復元、アーカイブ用ユーティリティなどを手がけている。
「UNIX REVIEW」1987年2月号より
KISHIDA Kouichi, k2@sra.co.jp