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かたちについて(わが昆虫記・抄)
― 抽象芸術論覚書 2004 −
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1.虫の耳
何気ないひとつのことばがいつまでも心のどこかにひっかかって消えない.そ
んな経験をはじめて味わったのは,子どものころ,古事記を読んでいたときだ
った.
ひとりの皇子が川のほとりに自分の家を建てた.人びとはその家を「あし
あがりひとつのみや」と呼んだ。
現代の建築用語でいえば,ル・コルビジェが得意とした「ピロティ様式」の
ことなのだが,この表現はいつまでもわたしの記憶の片隅にとどまっていて,
少年時代の終わり頃,詩(のようなもの)を書くことに熱中しはじめた時代に,
ことばというものの持つふしぎな力(造語力)について考えさせ,わたしをナ
イーブなカナ文字論あるいはローマ字論の方向に傾斜させる働きをもたらした.
子安宣邦さんの近著「漢字論 - 不可避の他者」(岩波書店)の論旨に共感を覚
えるいまのわたしは,もはやそうしたことばの魔力からなかば抜け出しつつあ
るようだが,.....
最近の経験としては,トニイ・ヒラーマンの小説を読んでいて,思わずページ
をめくる手が止まってしまったことがあった.それは,アメリカ西部のいくつ
かの州にまたがる広大なインディアン居住地域を管轄するナヴァホ警察の名探
偵ジョー・リ−プホーン警部補と,その同僚の若い巡査ジム・チーの2人が活
躍する連作ミステリの1冊なのであるが,このシリーズ,日本ではあまり人気
が出ず,翻訳は最初の数冊がハヤカワのミステリアス・プレス文庫から出て,
そこで中断したままなのは残念なことだ.
Hunting Badger (穴熊狩り) と題されたその作品は,シスコの空港で手に入れ
た原書を飛行機の中で読みはじめたところだった.
ジム・チー巡査が扱っている事件の被害者が病院に入院していて,尋問のため
にそこを訪ねたかれに,同僚の警官が,少し前にやってきた見知らぬ若い女性
訪問者について,"Cute as a bug's ear" (まるで虫の耳みたいにかわいかった)
と述べたのだ.
実はその女性は,後日ジムの新しい恋人になるやはりネイティブ・アメリカン
の女性警察官だったのだが,「虫の耳みたいにかわいい」とは,いったいどん
な虫なのだろうか.そもそも虫に「耳」なんてあったのかと,一瞬心の隙を突
かれたような感じがした.
アメリカ・インディアン言語の文法的な面白さについては,かつてベンジャミ
ン・リー・ウォーフの言語相対論仮説(講談社学術文庫「言語・思考・現実」)
を読んださい,ホピ族の時間感覚がわれわれのそれとはまったく異なっている
ことに興味を覚えたのだが,ナヴァホのメタファ感覚もきわめておもしろいと
感じた.たまたま,仕事で親しくしているソフトウェア研究者の奥さんがサン
タフェで美術館の理事をしているので,そのうちに訊いてみようとそのときは
思ったのだが,雑事の忙しさに取り紛れて.そのままになっていた.
ある日,地下鉄・南北線・溜池山王駅のホームの壁を彩っている和染の図案の
拡大ディスプレイをぼんやり眺めていたら「稲穂」の柄の英文説明に "Ear of
rice" と書いてあるのを見て,おもわず「あっ」と思った.帰宅してから辞書
を調べてみると,英単語 ear には「耳」のほかに,「穀物の穂」という意味が
あることがわかった.しかし,「虫の耳」という用例はない.おそらくあの表
現は,昆虫の(かわいい)触角のかたちを草の穂にたとえた比喩だったのだろ
う.
アメリカンインディアンの言語世界ではそうした比喩が日常的に「死隠喩」と
して使われているのだろうかと勝手に推測したのだが,そうではなかった.翻
訳を仕事にしている娘にこの話をしたところ,即座にインターネット上のイデ
ィオム辞典を調べて,「cute as a bug's ear というのは英語の慣用句として
けっこうポピュラーな表現みたいね」と教えてくれた.しかし,なぜ「虫の耳」
なのか,どんな虫なのかは,やはりわからない.最近ある会議で出会ったアメ
リカの友人に訊いたら,「うーん.そのイディオムはポピュラーとはいえない
だろう.かなり特殊ないいまわしだね」とのことだった.
気まぐれにインターネットの上をさ迷い歩いてみたら,とある昆虫趣味のウェ
ブページに, "All bugs are insects but not all insects are bugs." とい
うスローガンを見つけた.きっと,かわいい小さな「耳」を持つ bug は,不
細工な大型の昆虫類を指すのではなく,テントウムシみたいなイメージなので
あろう.
2.ことばとかたち
新聞の書評欄で時里二郎という詩人の存在を知り,そこで紹介されていた詩集
「翅の伝記」(書肆山田)をさっそく入手して読んだ.詩集というよりは奇譚
風の散文の断片を集めたもので,それらの断片が微妙にからまりあい,「翅」
というひとつの主題を奏でるスタイルになっている.巻頭におさめられた断片
のタイトルは「鞘翅目天牛科」つまりカミキリムシを指しているが,その作品
の第2パラグラフは次の通りである:
所謂物語の発生は,硬い上翅の内側に畳まれている天象を懐疑してやまな
い二本の触覚の距離に求められる それは地象に紛れて 擦り切れ ねじ
れ 或いは 付加され 歪曲され ついにはその髄を砕かれて放散する
cute as a bug's ear とは異質な世界がそこから展開される.それは,10数
年前に出版された詩集「星痕を巡る七つの異文」(やはり書肆山田刊) の巻頭
作品「星痕観測」の第2連:
触れ得ぬものこそぼくらの蟲惑なのだ
木箱のなかの雨季
ピンで留められた羽あるものたちの幼年
博物館はいつもなだれる郷愁にあふれて巨大な除湿器
その中に眠る柔らかい化石たち\ \ 魂の漂流物たちの傍らを
花虻を追いながら迷い込んだ園丁が通り過ぎていく
その美しい裏声にのせて歌われる不遇の王たちの来歴
その系譜の中に瞑想の去るが紛れていたとしても
その蒼い脳髄にくるまれた星の卵を濡らす白い驟雨よ
過ぎ去った季節の踝を巡って
麦高の道を滑走する変声期の苦い韻律を叩きながら
脱いだ殻の在処を隠すべく撒き散らされる修辞を彩るまで
剥製のツバメたちがオルガンの胸を擦り抜けるように
ぼくらの抽斗の中に忘れられたアオスジアゲハの傷んだ羽を濡らせ
のイメージと明らかにつながっている.
表題作「島嶼のサル 或いは 翅の伝記」の冒頭は,「この島嶼一帯に棲息す
るサルの種の,倒錯的な発育パターンは,何よりも食餌行動に顕著にあらわれ
る」というフレーズからはじまって,以下「サル」の観察記録が延々と続く.
幼時には極度の瞑想癖を持ち,成年になると一転,遊戯に夢中となって,トン
ボの翅をむしってはまき散らす.
ある地方新聞のインタビューで,詩人は次のように述べている:
サルは詩人,翅は言葉です.昔は言霊といって言葉と魂が一体だったが,
いまは切り離されている.饒舌になればなるほど言葉は軽くなり伝わらな
い.むしられて飛べない翅,つまり伝わらない言葉を散らし,せめてキラ
キラ光らせることが,いまの時代に詩を書くということではないでしょう
か.
たしかに,すべてのことばはそれぞれの意味に応じた「かたち」を持っている
ので,それらをうまく組み合わせ,撒き散らすことによって,「キラキラ光ら
せる」ことができるだろう.
絵の場合はどうか.
すべての「かたち」や「色彩」あるいは「マチエール」に,人びとは何らかの
意味を読みとろうとする傾向がある.絵は多くの人びとにとって,「何かの絵」
つまり「何かを絵に描いたもの」なのである.画家たちは,作品に何らかの意
味を見出そうとする人びとの心の動きを利用して,タブローを「キラキラ光ら
せ」ようと努力しているように見える.近代以降の美術には特にその傾向が強
いことは明らかである.
3.正名論のディレンマ
儒教哲学の中心的テーマに「正名論」がある.ひとことでいえば,ものごと(
特に抽象的な概念)をあらわすことばの意味を正しく定義しようということだ.
絵の世界にあてはめれば「美とは何か」をめぐる議論になる.
論語・子路篇十三に,孔子が語ったという有名なせりふ:
名正しからざれば 言したがわず
言したがわざれば 事成らず
事成らざれば 礼楽興らず
が記録されている.ことばの正しい意味を確立することが政治の基本だという,
いかにも孔子らしい表現だが,しかし,「名を正す」には具体的にどうすれば
よいかについては何も語らないというあたりがまた,いかにも孔子らしいレト
リックの妙だといえよう.
現代中国の代表的哲学者のひとり李沢厚に「中国美学史」という著書がある.
何年か前に上海の書店で手に入れたこの本は,春秋戦国期を含む先秦時代の諸
子百家から始まって前後両漢時代に至る美学思想の変遷が概述されており,そ
の第3章は「孔子的美学思想」にあてられているのだが,いまのわたしの中国
語の力ではまだ詳細は読みきれていない.
わが江戸中期の思想家・荻生徂徠は,その主著「弁名」のなかで,この正名論
について,次のようなパラフレーズを試みている:
生民より以来,物あれば名あり.名はもと常人のこれに名づくるものあり.
これ物の形あるものに名づくるのみ.物の形なきものに至りては,即ち常
人のみること能はざる所のものにして,聖人これを立ててこれに名づく.
然る後,常人といへども見て識るべきなり.これを名教といふ.
かたちあるものに名前をつけることは誰にでもできる.だが,かたちのない抽
象的な概念に名前をつけてその意味を定義することはふつうの人間には不可能
だ.しかるべき聖人にまかせるしかないという論旨なのであるが,そうした聖
人はいったいどこで探せばよいのか.「東夷の国・日本には残念ながらそうし
た聖人は生まれなかった」と余計なことを口走ったばかりに,徂徠先生は,い
まだに明治の薩長政権が制定した死後叙勲(昔の偉人たちに勲章をあげて格付
けをしようという阿呆なアイデア)の栄に浴していない.つまり中国崇拝思想
はけしからんというわけ.昭和天皇が死んだとき誰かがあらためて申請したと
ころ,またもや却下されたらしいのだが,それは余談.
儒教哲学の中心概念である「道」について,徂徠はいう:
道は知り難く,また言ひ難し.その大なるがための故なり.後世の儒者は,
各々見る所を道とす.皆一端なり.それ道は「先王の道」なり.けだし先
王は言語の以て人を教ふるに足らざるを知るや,故に礼楽を作りて以てこ
れに教ふ.
徂徠のいう先王とは,尭・舜・禹に代表される伝説の聖君主を指しているのだ
が,「道は先王の道なり」というこのテーゼをそのまま絵の世界に応用したす
れば,「美とは過去の偉大な芸術家がその作品で例示した美だ」ということに
なるだろう.一応はうなづける理屈であり,世の多くの美術愛好家はこのテー
ゼにしたがって,いわゆる名作と呼ばれている作品を鑑賞することに慣れてい
るようだ.しかし,その路線上には新しい美は決して生まれてこないであろう.
ゴッホ,ピカソ,マティス,ポロック etc,「先王」に擬するべき画家の名前
はいくらでもあげることができようが,かれらの歩いた跡をたどるだけでは,
決して革命は起こらないのだ.
1931年11月14日,バウハウスでの造形講義・開講のスピーチ「概念としての分
析」のなかで,パウル・クレエは,自然科学における分析と芸術におけるそれ
との違いについて次のように述べた:
たとえば化学では,有害物質が発見されたとき,それを構成要素に分解し
てそれぞれの特性を分析し,どの要素が毒を含んでいたかを明らかにする.
しかし,芸術における分析はそれとは異なる.対象作品がどのようなプロ
セスで創られたのか,その跡をたどることが,われわれにとっての分析な
のだ.
まさしく「先王の道」のいいかえに他ならない.儒教美学との思考パターンの
一致に驚くのはわたしだけではあるまい.
そして,クレエは,「かたちが始まるところ,すなわちひとつの点が動きだし
て線をかたちづくるところ」から,その講義を始めるのだが,そこにはいくつ
かの落とし穴がある.
畏友・島田良一が指摘したように,われわれは「かたちで考える」ことにあま
り慣れていないので,動きだした点は,結果として,ありきたりの意味のある
かたち(たとえば太陽を意味する○とか,山をあらわす△,方向を示す→,な
ど) を描くことにしか帰着しない.ところが,「白い馬は馬でない」という春
秋戦国時代のユニークな思想家・公孫竜の指摘からも明らかなように,何らか
の色彩とマチエールなしには,いかなるかたちも存在しえないのである.かた
ちは,クレエがいうように点が動きだすことによってではなく,ある色彩とマ
チエールを持ったタブローの表面から,それらの色彩やマチエールが消え去る
ことによって立ち現われるのだと考えたほうが,より真実に近いように思われ
る.
20世紀哲学の世界に起こった言語学的転回 (Linguistic Turn) の動きをすで
に150年以上も前に先取りしたというのが,江戸思想史上における荻生徂徠
の業績に対するわたしの評価なのであるが,その路線を批判的に引き継いで,
反・徂徠あるいは脱・徂徠という旗印を掲げて活発に活動したた18世紀浪速
の懐徳堂学派のひとりに富永仲基(とみなが・なかもと)がいる.わずか32
才で夭折したこの市井の思想家が遺した2冊の書物には,儒教パラダイムの呪
いを逃れるヒントが隠されているように感じられる.
仲基の主著「出定後語」(岩波書店,日本思想体系,第43巻)は,かれが独自
に考え出した「加上の説」と呼ばれるユニークな文献学的手法を用いて,仏教
経典成立の時間的前後関係やそれぞれの宗教的主張の系列を分析したいわば比
較宗教学ともいうべき書物なのだが,その方法論上のフレームワークは,芸術
の歴史を眺める場合にも適用できると思われる.さまざまな美術史上の流派が
なぜ生まれたのか,その背景にある思想が何であったのかを正確に理解するこ
とが,そうした分析によって可能になるであろう.
出定後語にまとめられた宗教文献分析作業の結論として,仲基は「およそ,言
に類あり,世あり,人ある」という主張を提示している.「三物五類」と名づ
けられたこのテーゼのうち,言語表現のスタイルが「世および人」すなわち時
代環境や書き手の個性によって変化するというのはあたりまえの話.ポイント
は「類」すなわち言語それ自身が変化への5つの要因を持っているという指摘
であろう.
絵画を成り立たせている基本的な要素である「かたち」が本来的に内包して
いる変化への特質を,仲基のいう「五類」すなわち「張・偏・泛・磯・反」
のカテゴリ分け(アナロジー)に照らして分析してみれば,美術史に対する
新しい展望が開けるのではないかと予想される.
しかし,仲基が遺著「翁の文」(中央公論社,日本の名著,第18巻)のなかで
提唱した「誠の道」のコンセプトには,徂徠の「先王の道」を乗り越えようと
した意図が感じられるが,しかし,まだ未成熟な発想をそのままポンと投げ出
しだけなので,適当にパラフレーズしてその真意をすることはかなりむずかし
い.
4.かたちへの挽歌 (ある夢の記録)
おびただしいイルミネーションに飾られた街路をわたしが歩いている.どこへ
行こうとしているのか,夢のなかのできごとなので,じぶんにもわからない.
そこは,なにか埃っぽい峡谷のようなところに広がっている街で,周囲の泥の
崖には,洞窟のような穴がいくつも掘ってあるのが見え,それらがどうやら人
びとの住居だったり,公共の建物だったりしているらしい.道路わきの広告や
建物の壁に「DBV」という3つの文字がいくつもあらわれては,消えてゆく.
その色どりがなぜかアンバランスでいやに鮮やかなのが,さっきから気になっ
ている.
なんとなく目をさまし,ここが中国の地方都市のベッドの上だということ
をぼんやりと確認する,それでいくらか安心して,わたしはまた夢のなか
へ戻ってゆく.
「DBV .... DBVっていったいなに?」そうわたしが問いかけると,その
少女はかすかに微笑しながらこたえる:「Dead Buttefly's Valleyよ.それが
この土地の名前だってこと,ご存知のはずなのに」.
そこはやはり薄暗い洞窟のような,しかしどうやらホテルのロビーであるらし
く,レセプション・カウンターのなかの少女は,わたしに大きな木札のついた
ルームキーを手渡し,階段は向こうだと指さして教えてくれる.その指には,
やはり蝶の頭をかたどったリングが輝いている.
ふと気づくと,ロビーの天井は色とりどりの蝶の羽で覆われていて,そこから
たえまなくこぼれおちてくるおびただしい鱗粉のせいで,あたりの空気がいく
らか重たく感じられる.
教えられた階段を上ろうとしてわたしは何かにつまづき,また目をさましてし
まう.
どうしたのだろう.部屋が真っ暗だ.さっき読みかけの本(V.S.ナイポー
ルのイスラム世界周遊記)を置いて点けたままにしておいたサイドテーブ
ルの灯りが消えている.
廊下をだれかが走り回っている気配がある.かすかにドアのほうから聞こ
えてくる声は,何かの原因でこの棟が停電したのだといっているらしい.
それを聴きながらわたしはまた,夢の螺旋階段に戻ってゆく.
階上の回廊はやはり薄暗く,右手に握っている木札のナンバーはしかし,なぜ
か光って見える.そのうえにはふたたび「DBV」の3文字が青く浮きだして
いて,...
扉をあけると,部屋の空気は予想したとおりつめたくよどんでいる.巨大な蝶
のデザインを刺繍した窓のカーテンが締め切られているせいだろう.その窓に
歩みよろうとしたわたしの足が一瞬止まってしまう.右側のおそらくその奥に
浴室があるらしいところの壁がゆっくりと動いているのだ.
よく見ると,その壁はびっしりと蝶たちに覆われている.もうほとんど翅がぼ
ろぼろになった無数のアゲハ蝶の群れがゆっくりと天井にむかって這っていこ
うとしている.天井の中央には,1本の夏みかんの木が.まだ緑色の小さな実
をつけたまま逆さに生えていて,蝶の群れはその木を目指しているらしい.そ
の群れのなかに,この夏,じぶんの庭で毎日同じ朝の時間に見かけたアオスジ
アゲハの姿をみつけて,わたしがおもわず手をのばそうとすると,いつのまに
部屋へ入ってきたのか,客室係りの少女が背後からそっとわたしの腕を押さえ
てささやく:
「そこにただ立ち止まっているだけで,じぶんが世界の果てにきていると感じ
られるような,そんな場所に,あなたはこれまで行ったことがありますか」
夢のなかのわたしは,しかし,その質問に答えることができないまま.さ
らに深い底知れぬ眠りのなかに沈んでゆく.
(2004.11.22)
KISHIDA Kouichi,
k2@sra.co.jp